第一次世界大戦と書籍夜間視野5つの鍵 1904 - 1918

第一次世界大戦、ドイツ軍は夜間の戦いで硫黄の燃焼で闇を照らし石炭を利用した火炎放射器でイギリス軍やフランス軍に恐怖を与えます。  その少し前の1914年の初頭、カンザス州の米国騎兵隊協会のFt.リーベンワースがを同中尉C.バーネットによって翻訳された、日露戦争中、 中隊長であった日本人将校が取り組んだ表題 “夜間行動のための訓練”、 [Training Night Movements] 総数135ページの書籍を発行します。 

日露戦争

写真: 日 露 戦 争

ナイトビジョンの創生 1895 - 1936

1895年ドイツ、ストラスバーグ大学の物理学教授であるフェルディナンド・ブラウンが通称ブラウン管として知られる電子源である電極を収納した真空管、陰極線管CRTを発明します。 その少し後1907年ロシアの科学者ボリス・ロージングがCRTを使い単純な試験信号を映像として受信します。 彼はシンプルな幾何学的図形をスクリーンに映しました、これがCRT技術を最初に使った製品いわゆるテレビです。 1989年までにイギリスの物理学者J.J.トムソンはCRTに2枚の金属板を置き静電場をつくり電子線を歪めることに成功しました。 1882年から1901に渡る熱電発光の研究はJ.A.フレミングを電子の原理で機能する装置、真空2極管の発明へと導きます。

1924年フランスの物理学者ルイス・ド・ブロイによって電子は波状の特性を持ったものではないかという仮説を立てられます。 その仮説が証明されると電子光学の科学的研究が劇的に進みます。 1926年 H.ブッシュは回転対称電気と磁場の研究でそれらにレンズのような働きがあると証明します。 この研究の成果が多く電子光学機器の設計の元になります。 電子光学変換機多段式を含む考案は1928 年オランダのGホルストとH.ボアによって提案されました。 変換機を作る最初の試みは成功に至らなかったものの作業装置は創造者(当時のフィリップ社の従業員たち)によって1934年に完成しました。 この発明品は“ホルストガラス”と命名されました。 英国の企業EMIは電子光学変換機の産業用試作を開発し英国陸軍のために生産を始めました。 英国、オランダ、ドイツの傍ら米国もこの分野での徹底的な研究を始めました。

フェルナンド・ブラウン

フェルナンド・ブラウン

1930年代初頭世界は無線の先進性に魅せられていました。 科学者たちはこの世の中に究極の無線を持ち込もうとしていました、そう本物の映像を送信するやつです。  聡明な知性がテレビを生み出したように他の付帯な発明品、電子顕微鏡、電子望遠鏡、レーダー、初期のマシンビジョンそして基礎のナイトビジョンカメラの実現にも及びました。

海を越えた国で1935年1月17日、物理学雑誌第93巻が発行されました。 そこにはドイツの実験物理学者Walter Schaffernicht の研究、表題“写真の電子的映像への変換”が含まれていました。 彼はAEGの物理研究室で働いていました。 研究では“ 十分な精度の機材設備が整った実験室であれば写真の電子映像への変換は可能であり、映像が投影される光電陰極と電子要因は数千ボルトで負極に共に加速し磁界レンズによって電子映像を形成する”と説明しています。 6か月後の1936年8月8日、物理学者Walter SchaffernichtとAEG研究所のアーネストト・カール・リンフォールド・ブラチェは国際特許#158,880表題“電子映像管”を出願しました。 

1936年3月ポピュラ―サーセンス誌 ブラックライトで夜を見る

米国特許局 特許2,179,083

3つの主張には“電子管は光電極陰を基部し映像を弯曲無しに極めて鮮明に再生できる”でした。 1939年11月7日米国特許局も続いて特許2,179.083を公布します。

それに並行し、1935年の春、ソビエト連邦のV.I.クラソヴォスキー研究所はホルストガラス同様のシステムを製造することができるようになっていました。 1936年迄には入手可能な競争相手の製品見本より感度の高い半透明光電陰極を製造できるに至っていました。

第二次世界大戦 ナイトビジョン 最初の一歩 1936 - 1944

前述の進歩、1930年の科学と技術発展を受けドイツはAEG社とZeiss社の2社に対し1936年最初のIR装置―赤外線放射(IR)と紫外線放射(UR)の開発を認めました。

 AEG社は赤外線暗視装置を開発の指図があり1939年初めて成功したプロトタイプは37㎜ Pak 35/36 L/46対戦車砲に組込まれました。 1942年秋にはZG1221ビュアーと赤外線ヘッドランプを使用したユニットに75㎜ Pak 40 L/46対戦車砲が作られました。 

第二次世界大戦開始から1944年までにドイツ国防軍は夜間視野600メートルを確保する200㎜赤外線サーチライトFG1250とBIWA(映像変換機)を搭載した夜戦用パンサー戦車300両以上配備しました。

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写真:赤外線装置を取り付けたドイツパンサー戦車

写真:Infrarot "Uhu" (フクロウ)

ドライバーの為に大きな200㎜IRサーチライトとスコープをSd.Kfz.251/20装着しましたがこのサーチライトはアサルトライフルStG44に暗視ライフルスコープを装備したエリート陸軍手榴弾兵の助けにもなりました。


写真:Gen.0 Night Vision - ZG1229 - Vampir (第0世代)

大皿ほどの大きさの赤外線イルミネーターとトヨタプリウスほどのバッテリーパック、ここにはじめて第0世代が誕生しました!


負けじとばかりソビエト連邦もPPSh-41にナイトビジョンを装備する計画を立てます。 1943年ソビエト政府はIR装置の開発に着手します。 

写真:Pistole-Pulemyot Shpagina (PPSh-41)1943

1944年最初のロシア製IR照準器 ”Iskra” が工学技術部隊用に開発されました。 そのスコープの操作は2人必要でした。 1人目は(探す人)は30W IRイルミネーターライト付のIR双眼鏡を用いてターゲットを見つけます。  2人目がそれに照準を合わせ発砲します。 ライフルスコープの夜間射撃は目標物が60~100メートルの距離で可能となりました。

写真:Iskra