夜を手にした...まだスタート 1944 - 1965

ゼネラルモータースの国内工場でわずか811丁、ウィンチェスターで1,108丁しかT3カービン銃は製造されませんでした。(6百万丁以上製造された標準型のM1カービンに比べ非常に少ない生産数) 1944年中GM, ベル、ハウエル等から成る米国の技術企業体は30口径カービン銃M3又T3を供給します。 

T3はM2様々な赤外線装置が取付けに適したマウントを装備した銃です。 約1000丁のT3カービン銃が実践配備されました。 T3カービンは、小さなM2探知スコープをレシーバーに大きな赤外線放射装置を銃床フロント下部に持つM 2赤外線ライフルスコープを搭載できるよう明確に設計されています。

写真:沖縄で使用された30口径 T3カービン+M2型第0世代赤外線スコープ

約70ヤードの有効範囲のこれら赤外線スコープは日本軍の攻撃を阻止するため1943年に陸軍によって開発されました。 実際実戦に使用されたのは500丁に満たなかったものの、沖縄戦最初1週間に米国の小火器によって被害を受けた日本軍の死傷者の約30%はこのスコープによるものでした。 M2スナイパースコープのガングリップを分け離すと手持ち式として使いました。



写真:当時のT3カービン+ M2赤外線スコープ、電池パックと付属品、取説

技術集団がナイトビジョンサイトに取り組んでいる間、兵器部門はM3カービンに取り組みました。 非常に多くの特殊部品が必要なT3カービンに代わって、戦場で変換キットを使いM1又はM2カービンを簡単にナイトビジョンサイトに変換することができるようにしました。 赤外線装置とスコープの重さは7.2ポンド(約3.3㌔)、電池パックも含む全重量は28ポンド(約12.7㌔)、有効範囲135ヤード。


数多くの“2万ボルト第1セット“スナイパースコープは1960年代、余剰品として売りにだされました。 その際、バッテリーは民生用が使えるように変更されました。 ハンターやバードウオッチャーが主な買い手でした。

(M3カービン取付け - 右上、 手持ち式 - 右下)

1962年から60年代の終わりまでPolan 社とVaro 社の2社が新しく開発されたM14ライフル用に 約4,000基のAN/PAS-4を米国陸軍に納めました。 1964年と1965年AN/PAS-4はフォートディックスとフォートジャクソン(訓練所)で陸軍新兵の基本訓練としてM14ライフル銃に取り付けられました。

他にもM14ライフルに取付けられたAN/PAS-4はベトナム戦線でも見られます。 しかし多くの場合は 訓練任務で使われました。 有効範囲約300ヤード. 6914IR管に装備されたAN/PAS-4はPolan P-155,又はVaro 9903としても知られるところです。 重さ6ポンド、ベルト取付け式バッテリーが7ポンド。 陸軍はさらにこの技術を使った双眼鏡タイプも手に入れ 海軍がAN/SAR-7赤外線ビューアーを手にしていました。

陸軍第0世代、M-18赤外線双眼鏡とAN/PAS-4ライフル赤外線スコープ

スターライトテクノロジーを手に入れた!(第1世代の登場) 1965 - 1975

1961年のテクノロジーの大きな進展で、1965年までに最初のパッシブシステム搭載のAN/PVS-1第1世代ナイトビジョンサイト“スターライト スコープ”が開発されました。 運用にもう人工的な光源は必要なくなりました。 AN/PVS-1は月や、星、夜光などの存在する周囲光を増強する光増幅技術を搭載した最初のナイトビジョンスコープです。 エンジニアはシステムの重量を減らし性能や信頼性を向上させるため努力しました。

1967年 AN/PVS-2ナイトビジョンサイト“スターライト スコープ”がベトナム戦線に実戦配備されました。 この第1世代暗視ライフルスコープは携帯用バッテリーで100時間作動し、M1もしくはM16に瞬時に取り付けることができました。

この暗視装置(NVD)は満月の時のみ使え、半月以下の時には使用することができませんでした。 増幅技術には真空管が使われており映像の弯曲が問題でした。 ゲインを向上するため複数の真空管を重ね増幅率を1000倍から2000倍に寿命を2000時間まで伸ばしました。

 

イギリス兵とI.W.A.-I.R.A.兵の夜間侵入や国境を超える人員の阻止に努めた。

写真:イギリス第1世代I.W.A.暗視ビジョン(上)とハンドヘルドバージョン 双眼鏡(下)

一方、ソビエトは3層カスケード式 NSPU-1 PN34ライフルスコープを開発

AKやPKMマシンガンンRPG推進ロケットランチャー,SVDスナイパーライフル など主要な個人装備用銃器に使用。 重量 戦闘時2.2㌔、保管時3.5㌔

写真:ロシア製 NSPU 1PN34 3層 第1世代暗視ライフルスコープ

第2世代光増幅ナイトビジョン テクノロジーは進化した 1975~

ベトナム戦争の終結までに残り数か月の時、陸軍は、真空管を使用しない金属セラミック製ボディに新たなコンポーネント、小型ながら光を劇的に増幅させるマイクロチャンネルプレート(MCP)を兼ね備える最先端で製造された2世代テクロノジーを基盤とした最初のナイトビジョンを手に入れます。 

M16

第2世代AN/PVS-3Aナイトビジョンサイト"Starlight Mini Scope"

1975年 テキサス州ダラスのOptic Electronic社は軍の要求に適合した実用的で高品質な第2世代 AN/PVS-4(MX-9644増幅管)の最初の量産品を納めます。

AN/PVS-4は幾何学歪みと呼ばれる視野周辺部の歪みが少なく、周囲光の変化に対応する自動輝度調整を備えさらに、自動電源OFF機能、多様な任務に対応するためレティクルの変更ができます。 1976年、最初の47,074台のPVS-4の製造契約を落差し1978年最初の配備をしました。 生産が中止される2002年までに150,000台以上が米国内で生産されました。 

1991年の湾岸戦争中、AN/PVS-4は様々な兵器に広く配備されました。 湾岸戦争は地上戦に於いてナイトビジョンを駆使し昼夜問わず作戦が遂行された最初の戦争として知られています。 最初にテキサスのOptic-Electronic社によって製造されたAN/PVS-4はその後、Varo,そして、Litton EOS、最後はノースロップグラマンとITTが製造しました。

写真: AN/PVS-4は光の少ない状況下(夜間時)で目標を探知捕捉発砲するため広く配備された兵器、主にM14, M16ライフル、M60機関銃、M249分隊支援火器、M72A1ロケットランチャー、M203グレネードランチャーに使用することを前提に設計された光増幅式ウェポンサイトです。

写真: PVS-4を元により大きな瞳径と対物レンズの変更を行った物がAN/PVS-5 クルー支援火器照準器です。 アメリカ陸軍はAN/PVS-5をM2マシンガン、M40A1無反動ガン、M139 20mm砲に取付けたり三脚に付けて監視をしました。